このペン塚は、福島ペンクラブ五月会が創立10周年を迎えた昭和63年5月21日に、福島県の民間新聞発祥の地である、福島市の福島稲荷神社境内に建立しました。福島県における民間新聞第1号は、明治7年2月に開明社を興した県社稲荷神社社司の丹治経雄が創刊した「福島新聞」でありました。その故をもって神社境内に建立されましたが、ちなみに丹治経雄は丹治家27代で、今の丹治宮司の曾祖父にあたります。
建立に至る経緯について、「筆塚」は全国や県内各地に建てられていますが「ペン塚」というものは何処にもありませんでした。そこでペン塚を建てて新聞人の象徴であるペンに感謝し、ペンの発展を願おうと、初代の渡辺会長が提唱されたもので、当時、仙台市内から発行されていた業界紙「日本新聞公論」によれば、新聞記者のOBが集まりペンクラブを結成したことは全国で初めてと報道しており、続いて機関誌の「福島新聞人OB文集」の発行、ペン塚の建立についても全国の嚆矢であろうと伝えています。
ここに碑文をご紹介し、あらためて本県マスコミOBの気概と功績に思いを馳せたいと思います。
「福島県にゆかりある新聞人等を会員とする福島ペンクラブ五月会は、創立十周年を記念し、県内有志の協賛を得て、本県新聞の発祥の地・福島稲荷神社境内に供養の心をこめてペン塚を建立する。
ここに、言論の自由を闘い抜いた先人の偉業を偲び、あわせてわれらの生涯の糧を生んだペンに感謝し、文化の発展を祈念してやまず、希くば後世の道標たらんことを。
昭和六十三年五月二十一日 福島ペンクラブ五月会」